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達川「阪神にいたとき大阪弁が怖かった」

1 :風吹けば名無し:2019/07/13(土) 06:53:00.51 ID:Mck6NZZoM.net
野球解説者の達川光男氏(63)が12日、関西テレビ「快傑えみちゃんねる」(金曜後7・00)に出演。ソフトバンク・コーチ時代のエピソードを語った。

達川氏は高校時代まで広島で過ごし、さらにプロ入りしたのは故郷を本拠とする広島カープ。根っからの広島人で、63歳になった今も当然のように広島弁で話し続けている。

現役引退後は指導者として様々なチームを渡り歩いてきた。2017年には福岡を本拠地とするソフトバンクに一軍ヘッドコーチとして就任。2年連続の日本一に貢献している。

しかし指導する時にはニュアンスが伝わりにくく、相当苦労したという。しかし、球界屈指のスラッガー・柳田悠岐だけは同じ広島市出身であったことから、
感情を伝えやすかったと語り「おどりゃ柳田〜!しっかり走れ、このバカ!!何してんだ〜、われ〜!」との檄(げき)に対しても「はい!」と素直に応えてくれたという。

上記の檄(げき)は達川氏が説明するには、標準語にすると「柳田くん、キミ、そんな走り方じゃダメでしょ。
しっかり走りなさいね」ということらしいが、広島以外の人が聞くとだいぶ怖い印象でとらえられるという。
自身も2003年、阪神に一軍バッテリーコーチとして招へいされた時、大阪弁を聞いて同じ思いをしていただけに、気持ちは痛いほど分かっているようだった。

それでもソフトバンク内での広島弁はかなりの不評だったようで、当時の選手会長・長谷川勇也(山形出身)には
「(達川)ヘッド、もう僕たち“ゆとり世代”なので、そんな野蛮な言葉はやめてください」と言われてしまったという。
広島弁は達川氏のキャラに欠かせないものにも思えるが、“指導者達川”にとっては、なんとも扱いにくい代物であるようだった。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190712-00000204-spnannex-base

2 :風吹けば名無し:2019/07/13(土) 06:53:56.29 ID:tkN1I/vB0.net
ハッセのメンタルよ

3 :風吹けば名無し:2019/07/13(土) 06:55:38.12 ID:jC3P92Dzd.net
マジかよ山形県民陰湿やな

4 :風吹けば名無し:2019/07/13(土) 06:55:42.87 ID:95JYCz5H0.net
どうせこれも8割くらい嘘やで

5 :風吹けば名無し:2019/07/13(土) 06:59:46.28 ID:lB70XvyL0.net
長谷川さぁ

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